筋 道
八王子市アーチェリー協会
ゼロからのスタート
昭和30年代後半、東京オリンピックの開催に沸き立つ東京、 八王子市も自転車競技の会場として、街を挙げて取り組んでいた。
その頃、アーチェリーに取り憑かれた一人の男がいた。あとに八王子アーチェリー協会を誕生させた河合和郎氏であった。道具もない、指導者もいない、練習する場所もない。ないないずくしの中で、一人、二人と仲間を募り、職場の市役所の中に同好会を作った。「弓具といえば竹製の弓と矢という原始的なものだった。練習も田圃や畑の隅でやったもんです。」と当時を語る河合氏。
八王子アーチェリー協会スタート
その後、市内に愛好者が現れ、沖電気八王子工場にもクラブ(代表 石井秀雄氏)
が誕生した。そこで工場内の敷地に射場の提供をしていただき、競技会を開くようになった。
ちょうどその頃、誰ともなく「協会を作り、市民体育大会に出場しょう。」という声が上がり、八王子市役所と沖電気の愛好者が中心となり組織作りが進められた。
昭和48年7月6日に八王子アーチェリー協会(当時30人余)を設立した。引き続き同年9月1日に東京都アーチェリー協会への加盟が承認された。同時に全日本アーチェリー連盟にも同時に加盟した。競技団体として公認された当協会は、昭和48年に八王子市体育協会に加盟申請し、翌年昭和49年5月23日の総会において加盟が承認された。
八王子市民体育館完成(現:富士森体育館)
昭和49年10月に八王子市民体育館が完成し、和弓と兼用ながら専用の練習場が利用できるようになった。練習の拠点が確保できたことは、アーチェリーの普及の上から大きな出来ことであった。
実業団大会
アーチェリー愛好者が着実に増えるようになった昭和52年に第25回全日本実業団アーチェリー大会を椚田町の国立東京工業高等専門学校にて実施することになった。18年後の平成7年8月には再び第43回全日本実業団の大会を開催し、全国から多くのアーチャーを八王子市に迎えることができた。
いづれの大会も八王子市や関係機関のご協力とご支援をいただいたことに加え、八王子アーチェリー協会の会員各位のアーチェリーに対する深い愛情があつたものと確信している。
歴史
・昭和30年代後半
同好会として発足
・昭和48年7月6日
八王子アーチェリー協会設立
初代会長に河合和郎氏就任
・昭和49年10月
八王子市民体育館完成 練習の拠点ができる
・昭和52年
第25回全日本実業団大会を八王子で開催
・平成7年8月
第43回全日本実業団大会を八王子で開催